一生付き合っていかないといけない病(膠原病)

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「一生付き合っていかないといけない病(膠原病)」

私は19年前に発症した難病の症状などを説明したいと思います。

原因は不明なんです。だから国指定の難病なんですよ。遺伝はないみたいなので娘たちがこんな辛い経験をしなくてすむじゃないですか?最初の症状は出産後に指てっぺんに血豆がたくさんできたことで激痛がありました。

今から考えるとこれが最初の症状だったのかなぁって感じます。今は分からない病気は総合診療科がありますが、そのころはありませんでした。

今回は私が患っている病名や症状を調べて書いて見ました。

私が冬場やスーパーの冷蔵庫(肉、冷凍食品などの棚)をさわるだけで手のひらが真っ白になります。とにかく手を温めるようにしています。

何年か前に身体の温度を測定する機械あるでしょ?

温かい所は、赤だったり、オレンジで表しますよね。寒い所は青だったりしますよね。

私の手のひらが真っ黒になったことがありました。そのとき私はゾッとしました。

11枚貼っている麻酔薬「フェントステープ」です。

がん患者の痛みを和らぐために貼る麻酔薬を私は使用しています。

そのぐらい悪化しているのかなぁ?

アメーバーブログで現在闘病中の小林麻央さんが、貼る麻酔薬を使っていると言っていました。「フェントステープ」なのか?わからないけど、私の場合は2mgと小さいテープです。たまに貼ることを忘れると寝れないし、身体の節々の感覚がおかしくなります。

やっぱり効いているのかなぁ?

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私はね。このテープがないといきていけないかも?知れませんね。

最近、少し歩いたりすると咳き込みます。主治医は病気のせいだと言いました。

咳き薬を処方してもらってます。それと酸素吸入器です。

外出中は、酸素ボンベを使用しています。

外ではあまり使わないけど、いや使えないけど、家ではしんどい時、発熱した時、咳き込む時に部屋の隅にある吸入器をボタンを押して、チューブを鼻につけます。

毎年、冬になると咳止まらなくなります。4年前に初めて間質性肺炎を発症したとき、もう終わりか?思いました。でも手術して復活はできたけど、一生、酸素暮らしです。

4年前に心房粗動で入院したときにこんなに病名があるんだーと感じました。

心不全・肺高血圧症・不整脈・膠原病(全身性強皮症)・心房粗動でした。

主治医が家族に説明したとき、勤めていた仕事場にFAXで資料を送ったときに書いてあったのがこの病名でした。

今は一人でなかなか外出できません。近くだったらできるんだけど、病院にいくのも朝はバスに乗ることができないので、主人が仕事前に送ってくれます。

帰りはバスも混んでないので、酸素ボンベを持って帰ります。

先日酸素ボンベを点検してくれる業者さんに聞いて見ました。「私と同じ年の人で同じ病気の人いますか?」

私の病院には、酸素ボンベを持っている患者さんか7080代の人がほとんどで酸素ボンベを持ち歩くことがなんか?恥ずかしいって感じるんです。ダメなんだけどね。

いたんです。市内の病院に通院している46歳で酸素ボンベを持っている人です。私のほうがひどいらしいんですがねとおつしゃってました。実家のそばに住んでいる人だったっていっていたけど、46歳ってこれからなのに、テレビが友達?PCが親友ですかね。

家族もなかなか理解してもらえないのが悲しいです。

一生、付き合っていかないといけない病気です。家族が少しでも理解して一つでも協力してくれたらどんだけたすかるか?知れないです。

今、したいことは、「走りたい

です。「歌いたい

です。「ビッフェ

に行きたい。

できないからです。食べ過ぎるともどしてしまうから、歌ったら咳き込むから、走ったらどうなるんだろう?

娘の影響で陸上競技を観戦するのがすきなんです。でもね。走れないのに辛いだけなんだけどね。

この病気が完治したら、やりたいことたくさんありますが?生まれ変わったら病気にならない身体になりたいです。

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