これからも仲良くお願いします

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これからも仲良くお願いします

帰省して帰って来て1ヶ月程になります。今回程楽しかった帰省は初めてでした。中学の時の友達に久しぶりに会いました。小学校は別々でしたが中学で一緒になりました。体育の時間に芸能人の話題で意気投合して仲良くなりました。友達になった幸枝は小学生の頃からの仲良し4人グループの1人でした。そこへ私が加わったのです。

5人でノートに今で言うブログ記事みたいなのを書いて順番に回していました。大人になると段々書く事はなくなってきますが、中学生でしたので夢だの希望だの芸能人だのと書く事は沢山ありました。大人なら書く程でもない他愛のない事を中学生だった私達にとっては新鮮だったりした訳です。その後それぞれ結婚してそれでも文通は続けていました。

でも少しずつ疎遠になってしまいましたが、それでもやっぱり友は友なのです。今回の帰省で良く分かりました。絆で結ばれていたのです。とっても嬉しかったです。ベラベラと私ばかり喋っていました。もっと話していたかったのですが、まき子は夕飯の支度があるので私はお暇しました。今度は町で会う事にしました。

まき子の嫁ぎ先は本家だの分家だのに囲まれていました。息子が2人で私と同じです。女もいないよと言っていましたがそれも同じです。無理に妥協で結婚しなくても良いと思います。毎日を笑って暮らせたらそれで十分幸せです。人間笑わなくなったら終わりだと聞いた事があります。

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いつどこでドラマチックな出会いが待っているか分かりませんと思うのは勝手ですが待っているだけでは何も始まりません。だからと言って出会った人をこの人こそ運命の人だと思い込んでもそれは困ります。

同級生が50代後半で結婚しました。初婚です。クラス1の秀才でした。結婚に適齢期はないと思います。まき子も私も『母呑気だね』で良いと思います。それにしてもまき子の家に電話しましたが、出られた方が旦那様だとばかり思って話していたのですが息子さんだったのです。とっても感じが良かったです。

きっとまき子が育てた家庭環境が良かったのだと思います。その電話をした時まき子は家からちょっと離れた所で畑仕事をして冬に使う薪を割っていたそうです。まき子は中学生の頃と変わっていませんでした。相変わらずよく笑って明るかったです。私も中学生の頃は明るくて誰とでも話をして行動的で通っていました。

学校帰りに皆でラーメンを食べたり楽しい思い出ばかりです。その頃フォーリーブスが人気沸騰中でまき子はおりもさんのファンで私は公ちゃんのファンでした。まき子の家に遊びに行った時まき子のお父さんに「まき子と仲良くしてあげてね」と言われました。中学生の私は別に何とも思いませんでしたが、今はお父さんの気持ちが良く分かります。

自分も親になってみて初めて分かる親心です。「林檎送るからね」と何度もまき子は言っていました。私も夫も林檎が大好きです。スーパーで青森産の林檎が売られていますが青森産とはまき子のいる弘前の林檎という事です。林檎畑がどこまでも続いていて林檎の実が生ったらさぞ可愛い村になると思います。私はサン富士が大好きです。

青森に住んでいる妹が親戚の家の林檎の手伝いに行ったそうですが「私には続けられない」と言っていました。やってもやっても終わりが見えてこないと言っていました。まき子の所に同級生が何人か手伝いに来るそうです。林檎の花が咲き始まったら林檎の仕事で忙しくなるそうです。そういえばまき子は歩き方がちょっとおかしかった様な気がします。

悪いと思って私は聞きませんでしたが林檎の仕事でそうなったのか分かりませんが勲章だと思います。随分遠くへ嫁いだと思っていましたが、確かに遠かったです。林檎の仕事はしなくて良いからという事で結婚したのにやはりそういう訳にはいかずまき子も苦労したと思います。

でも冬は林檎の仕事もないですし旦那様達は皆出稼ぎに出るそうです。冬は天国だと言っていました。せめて冬は羽を伸ばしてゆっくりしていて欲しいです。これからもずっと仲良くお願いします。

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