嫌いなことには目を向けないで生きていく

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嫌いなことには目を向けないで生きていく

いろんなテーマが与えられていますがいつもとても書くのに困るのが、「嫌いなこと」というテーマです。

嫌いなことは生きていくうえでいくらでも出てきて、嫌いなことを突き詰めて考えてしまうと、生産性は落ちるし、気分は悪くなるし、性格もひねくれるし、いいことがないように思います。

結婚生活が30年を迎えようとしていますが、夫の嫌なことに目が行きやすかったのは、最近よりも、新婚時代に近い時代の時だったように思います。

これまで別々の人生を歩んできた二人が一緒に暮らすようになると、こまごまとした生活習慣の違いが目に見えて目立ってきます。

「生理的に受け付けない」出来事があれこれ噴出してきます。

生理的に受け付けないことは深刻な内容なのですが、深刻に考えてしまうと絶対にいけないことなのではないかと思います。

「生理的に受け付けない」ことの多くは、理論的には説明できない内容が多く、「だから生理的に受け付けないんだよ!」としか説明できない場合がほとんどです。

ほぼ感情論と変わらず、論理的ではありません。

「生理的に受け付けないからやめろ!」の応酬合戦に展開してしまうこともあり、およそ空気を悪くするだけで終わってしまいます。

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きっちり説明がつかないような生理的に受け付けない内容については、「目を向けない」ことが一番ではないかと思います。

例えば夫の生理的に受け付けない行動を目にしてしまったら、そこに注目してしまったら、どんどん嫌いになってしまいます。

理由が論理的に説明できない部分で嫌いになると、「どうしてほしいのかいえ」と言われても言えないし、説明もできません。

そんな生理的に受け付けない内容を突き詰めてしまうと、結局嫌いの塊になってしまいます。

そんなことにならないためには、「いやだな」とちょっと思った面が見えたとき、すぐに、夫のいいところを探します。

いいところ、好きなところを探していくと、いやだと思ったことが何だったかも忘れてしまいます。

突き詰めて考えないことで、些細なことにしてしまえるので、嫌いが積み重なることがなくなります。

一種の自己暗示のようですが、好きなところで上書きすることで、嫌いな部分はより些細な部分になり、思いつめなくて済むので、けんかの種をまく必要もなくなります。

嫌いなところに一生懸命目を向けるのは、自分のためにも、夫婦生活のためにも、家族の平和のためにもなりません。

結婚生活も長くなると、夫より子供の方が大事だという人が多く、子供に対する愛はあるが、夫に対する愛はなくなったという人もいます。

とても残念だと思うし、夫に対する愛情をなくしてはいけないと思います。

子供は、いずれだれか、自分よりも家族よりももっとずっと大事な人が出てくるし、出てきてもらわなければ彼らの人生がつまらなくなってしまいます。

いつまでも「ママの言うとおりにするよ、僕」なんて自主性のない子供など、ノーサンキューです。

一人で大きくなったような顔をして、私に説教をしたり、「おかんがぼやぼやしているから心配だ」とため息をつくようなところは「生意気だ、私がいないと夜も日もあけなかったくせに」と思う反面、大きくなったとうれしく思います。

自主性をもって、巣立って行ってくれればそれでいいし、子供を束縛するような親にはなりたくないと思います。

夫に愛情がなくなり、子供だけに愛情が寄せられているとき、子供が巣立っていくと、愛情のもって行き所がなくなってしまうから、犬や猫を飼う人もいるかもしれませんが、その分の愛情を愛情がなくなったという夫にかけてあげて欲しいと思います。

「俺が食わせてやっている」というと、えらそうに、うざいといわれる時代のようですが、社会に出て働く男性諸氏は、それくらいの気概がないと、辛いことや苦しいことが乗り越えられないのではないかと思います。

食わせてもらっている、本当にありがたいと思っていれば相手にも伝わります。

逆に、えらそうにと思っているのも相手に伝わるのではないでしょうか。

嫌な面ばかり突き付け合わないで、折り合う努力をしてほしいと思います。

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